木を大事にすれば絶対に返ってくる。広葉樹を活かす「川中」のこだわり。

西野製材所
代表取締役
西野真徳

西野製材所 西野真徳さんに、「広葉樹のまちづくり」から西野製材所の取り組みのことまでインタビューさせていただきました。

ーー 西野さんが今のお仕事を始められたきっかけを教えてください。

西野真徳(以下、西野):西野製材所の3代目として生まれまして、若い頃は名古屋の製材所で修行していました。ですが、突然先代が亡くなり、右も左も分からない状態から始まりましたね。叔父さんやお隣の柳木材さんなど、周りが山や製材のプロフェッショナルに恵まれていたのでなんとか続けて来られました。当初は建築製材もおこなっていましたが、継いで間もなく広葉樹を専門に製材する方向へ舵を切りました。

ーー 広葉樹の製材を中心にされたきっかけはなんでしたか?

西野:針葉樹の場合は需要もたくさんありましたが、ある程度の価格帯が決まっていて頭打ちでもありました。一方、広葉樹の需要は地元にもたくさんあり、広葉樹の少ない原木を大切に製材して、いかに付加価値を高めて売るかというところに魅力を感じたことが大きいですね。

ーー 広葉樹のまちづくりで取り組まれていることはなんですか?

西野:広葉樹の大半は安価なチップとして県外の製紙会社に売られてしまうので、良い材もあるのにもったいないと心のどこかで思っていました。こうして、広葉樹の活用に取り組めるきっかけを市役所と作れたことがまず良かったです。飛騨の少ない広葉樹の製材所として、チップではない活用方法を生むために「川中」である僕らは役目が大きいですね。川幅を狭くしたら川下に流れなくなってしまうので、川下の人が潤う可能性をここで止めてはいけないと思っています。いくら木工作家さんが「もったいない」って思っても、製材されていないと買えないですからね。

ーー とはいえ、個性の強い広葉樹を流通させていくのは難しい部分が多いのでしょうか?

西野:もっと流通できるようにしなければいけないけれど、節がある小径木を木工作家さんがたくさん買ってくれるかというとそうではありません。流したいけど買ってもらえない現実的な壁はありますね。川下に流れないと多くは仕入れられないので、需要と供給のバランスは難しいですが、なるべく購入して川幅を広く保てたらとは思っています。

ーー 川中に負担が重なって、在庫を抱えてしまう現状があるのですね。

西野:我々も広葉樹を販売していこうと思うと、原木の仕入れを含め飛騨市だけでは限りがあります。広葉樹のまちづくりもそうですが、周辺地域とともに「飛騨ブランド」で発信していけば良いと思うのですがね…。広葉樹の材木を探している人は全国にいますので、飛騨市の枠に囚われずに広げていった方が、裾野も需要も広がるんじゃないかって思っています。その一歩目がコンソーシアムの立ち上げだと期待していますね。

ーー 広葉樹のまちづくりに取り組まれる中での気づいたことや変化を教えてください。

西野:やはり、もっとお金をかけて山の手入れをしないと根本的な価値の引き上げには繋がらないと感じました。現状では飛騨の広葉樹の価値が高まっていないため、ヘリを使用した運搬などが採算的にできず、「架線集材」の方式でしか現状伐採できないんですね。伐採したい木の周りを皆伐しないといけないのですが、そうしたら次に伐採できるのが100年後になってしまいます。

ーー なるほど。周辺も切らないと動線の確保ができず下ろせないから、もう少し待てば育ってた木も切ってしまうってことですね。

西野:そうです。つまり、伐採のサイクルが長くなってしまいますよね。これを30年に一度のペースで伐採できるように間伐していくべきなのでしょうが、補助金も元手もないために手をつけれていません。まだまだ広葉樹は課題が山積みなのです。

ーー それでも、広葉樹に取り組んでいく西野さんのモチベーションはどこにありますか?

西野:期待していなかった木が売れてみたり、これは良い原木だぞと買ってみたら中が悪くて不良在庫になったりします。よくあるのは長い木を半分に切ったときに、両端はいいんだけど真ん中に穴が空いてる時とか。節と節の間で良いのが取れたり、逆もあるから分からんもんですね。だけど、「木を大事にすれば絶対に返ってくる」という思いで仕事しています。好きでやってる仕事だからこだわりたいんです。こだわることでその木を生かすことができるかもしれません。そう思うと、雑に無駄にしたくない。今までもこれからも、そのスタンスは変わりませんね。

ーー 本日はありがとうございました。
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