持続可能といわれる林業、そこから漏れる虫たちの循環

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森林のなかに埋もれていた虫の世界

先日、地域おこし協力隊の同期を連れて、今年度、広葉樹施業に入る予定の広葉樹林へ行ってきました。同行してくれた同期というのは、それぞれ薬草を専門とする協力隊と、ガイドが専門である(特に虫が得意な)協力隊です。林業・木材目線でみる広葉樹林ではなく、また違った角度から森をみると、どういう発見があるのかという、一種の実験です。

これがまた大正解で、とても深遠な世界への入り口に立ってしまったような気がしました。

林業自体は、よく持続可能な産業として語られることが多いと思います。針葉樹は植林と伐採のサイクルを適切に回すことで、広葉樹は天然更新と伐採のサイクルを適切に回すことで、資源を次世代に再生させながら利用することができます。

それはあくまでも人間と木材資源という視点に立った持続可能性であるわけですが、生態系としての森林には、木材資源の供給以外にも、様々な機能をもっており、しばしば林業がやり玉にあげられるのも、こうした諸機能との衝突なんだと感じられます。

こうした議論をするには、少し勉強不足なので、あまり詳しくは書きませんが、産業的利用と生態系とのバランスが求められるのが、林業という産業の特徴だと思います。大面積で自然に影響を与えるような攪拌は避け、次世代への遷移をしっかり進めることが必要です。

では、虫はどうなのでしょうか。

森林のなかで、約2時間ほどの時間を過ごしましたが、実にいろんな虫たちが、ぼくたちの前を通り過ぎていきました。虫好きな協力隊の同期は、そんな通り過ぎていく虫たちについて、逐一、その生態や特徴について教えてくれます。通り過ぎていくという行為自体、彼らが点から点へと、森の中を移動していることを物語っており、まさしく森の中で生きているさまを目撃させてもらいました。次々と通り過ぎていく虫たちの目には、ぼくたちはあくまで森の中の景色の一部です。虫を観に行くのとはまた、ぜんぜん異なる感覚を感じます。

彼らには多種多様な環境が必要であり、森林で生まれるすべてのものが、彼らの生命を支えています。枯れ木や倒木でさえも、あるものにはチャンスを与え、あるものにはピンチを与えている、そういうミクロで複雑な関わり合いが、森のあちらこちらで生まれています。

虫の姿は、人の目からは実感を伴うかたちで確認することが難しく、知覚できるレベルでの森林の循環からは漏れてしまうものだと思います。だからこそ、意識として忘れてはいけないとも思うのです。認識できない次元であっても、そこには虫たちをはじめとしたミクロな生態系が広がっており、私たちはそこを利用させてもらっているという、ささやかな目線と心遣いをもっておきたいなと、小さい決意をしました。

いつか、虫食いの跡のある広葉樹を提案するときに、虫の名前や生態とセットで販売することで、彼らの生き様を世に伝えていきたいです。